子どもの命とお金

先日、勉強会に参加してきました。
医学生達に混じって、これからのことについて先生や学生さん達から色々と聞くことができました。この刺激は、私にとってはとてもありがたいものでした。
目の前にいる患者に対して、自分が想像できることどうやって接したらいいのか、寄り添うことを一生懸命検討していました。


今日は、その時に感じた「違和感」について書こうと思います。

「救児の人々」という本をお読みになったことはありますか?
NICUという、新生児の集中治療を担当する部署にある実際の話などをまとめた1冊です。私はこの本は、運命の出会いをしています。
発売前に先行でPDFを無料で公開していたのです。その時の感動はすごいものでした。私が引っかかっている部分を、どんどん刺激してくるのですから。
文章に引き込まれて、もちろん本を購入したのは言うまでもありません。

ただし、この本のまとめをしようと思ったら、それが全然できなかったのです。
文章の文字に対する一部分は感想が出ても、それを集めてまとめることができなかった。
あふれてくる感想を、一つにできないという複雑な気持ちにさせてくれたことは私自身とてもショックで、自分の軸が無くなってしまったのかと錯覚を起こして自信が無くなった時もありました。


その著者である熊田さんがここでも発表をしていました。
私は、この発表内容に違和感を覚えてしまい、しばらくどうしたらいいのかわかりませんでした。
子ども達の命をお金と天秤にかけてきたのです・・・

新生児の集中治療に、社会資源をいくら投入しているか。
金額ははっきりしています。統計が出せますし、病院側が赤字で対応していることも触れていました。
貴重な社会資源を、どれほど投入してもいいのか?と、問うような内容もありました。


障害児を育てる覚悟は、みなさんに理解してもらえるとは思っていません。
ましてや、産まれる前から「短命」「予後が悪い」「どうなるかわからない」などど、言われた娘を、どうやって抱きしめたらいいのかなんてわかりますか?
いっそ、この場で首を絞めてあげたら辛い思いは一度だけで終わる・・と思うこともあるような気持ちになる子育てを、一度でいいから想像してみてください。

そこに、お金です。
この費用対効果をどのように見るか・・
そんな判断をさらに親に求めるのでしょうか?
短命と言われたけれども、この治療をしたらもう少し一緒の時間が過ごせるかもしれないという期待に、値段を付けて支払いを要求されたら、その子がその値段分の価値かどうかを親が判断するのです。
社会資源は限りがあります。だから、治療費用にも限りがあります、という社会においては障害児は育っていかないでしょうね。お金がかかるし、社会からの援助も少なく、みんなの子どもという存在になり得ないのであれば、その存在自体を受け入れられなくなってしまうでしょう。

健常に産まれた子供は、子ども手当をもらいながら育っていく。
出生時からの異常になると、社会資源に配慮しながらでないと育児ができない。
この差は一体何でしょうか?
親が我が子の障害を「受容」することは、どれだけ大変かを理解した上で、社会全体でその障害をどうやって支えていくのかを、見ていくべきです。


子どもにおいては、次世代の資源です。
これからの日本に関わる、大切な存在です。
その子どもは、全てが健常である必要があるのでしょうか?
みんなと同じようなことができないお友達がいても、いいのではないでしょうか?
生きることに医療技術の助けを借りながら、走り回れなくても笑える毎日が過ごせる子どもがいてもいいのではないでしょうか?
そういうお友達を、どうやったら一緒に笑えるか楽しめるかを考える心は、これから不要になるのですか?


私は、大人の命に金額を付けるならまだ納得いきます。
本人の努力や環境あっての評価でしょうから、受け入れざるを得ません。
子どもは違います。これから、どんな努力をするか、どんな才能が開けてくるのか未知数なものに、投入する社会資源を出し惜しみする社会は残酷です。
子どもの医療費に社会資源の検討をしていると重症障害児の親達に話をしたら、全国にいる親たちがどう思うか、想像つかないのでしょうか。


理想を述べているのではありません。
現実問題として、障害を受容する困難を越えてもまだ社会適応されないという苦難があるのであれば、子どもは要らないという親が出てくる危険を指摘しているのです。


お金は効率を求めます。
数字には限りがあるから、効率が良い方にしたいことはよくわかります。
子育て経験者には理解してもらえると思いますが、子育てに効率は求められません。
大人が無駄だと思えることも、全ては子どもにとって必然なのですから。
効率よく成長するわけがないのです。
その二つが、一緒くたにできないことを、理解してもらえるのでしょうかね。


まだ上手くまとまらない内容なのですが、この件はきちんと意見として理解していっていただきたいと切に願っています。