療育に対して

先週末に、就学のための準備を少しずつですが進めてきました。
もう来年の4月には小学校に入学しようとしている娘です。


娘はまず普通学級には通えないことがわかっているので「特別支援学級」に通うことになります。その中でも、「肢体不自由」に対応し「知的発達遅延」もありますので、そういう内容にも対応していただけるクラスを選択しなければならない制度のようです。

はっきり言わせていただくと、今年に入ってからです。学校のことを頭に入れて、様々なことに対応するようになったのは・・・。
いつ呼吸が止まるかはわからない、なんて言われている娘が小学校に行けるようになるなんて、私には予想もできませんでした。
それこそ4歳くらいになるまでは、次のシーズンの洋服なんて買えなかったし、体調が落ち着いてもしばらくは来年のことを考えることが娘に対してはありませんでした。

それが、いきなり「小学校に行く」という制度のために、「どのような障害を持っていて、今どんな状況で今までどういう環境で、これからどうしたいか」ということを突きつけられて、イヤになっている自分がいます。
親がそんなことを言っては非難されそうですが、小学校に行けることが「当然のレベル」であれば困りませんが、そうではない子どももいます。そうしたら、この制度はあまりありがたいものでは無いのではないかと思えてきています。

そして、その「学校」が教えることは、「社会」に入っていけることは非現実的でありながらもそういうお題目を並べ、「個人を尊重」としながらも見下したような接し方をし、親に不安を増やすような要素を突きつけてくる、こう感じる私です。そして、多分私だけがこう感じるのではないのではないかとも思います。


私は娘に療育センターへの通所は選びませんでした。
見学をして、私の勘が「娘があの環境を喜ぶはずがない」と感じたからです。
私は、障害児を障害児として扱うことは違うと感じています。支援の必要な子どもをわざわざ大人のなかに入れて、大人の都合で支援しなくても、子ども同士の環境にあった方が発達や改善の度合いが高いと思うからです。
ただし、障害のレベルや程度、種類によって、全てが当てはまるとは思えません。
でも、そういう判断をする障害児の親もいることを、書いておきます。

生きることが難しいと言われる障害を持っている子どもに、楽しくない時間を過ごさせるのは、親として避けたいと思っていました。
せっかくこの世に生まれてきたのだから、楽しい時間を多く持ち、周りと楽しく過ごして欲しいと願っていました。
療育センターが楽しくないということではなく、療育をすることによる楽しみと、療育をしなくてもできる楽しみを
親が自由に選べる環境がないことが、日本の福祉制度の狭さだと思います。
そして、療育の後に待っている義務教育制度につながるものも、療育をしなくても容易に進めば何も問題はありません。
でも現状としては、私は療育をしなかったゆえに、教育相談に行けばA4用紙3頁程度にまとめられない障害内容であったり、
医療側からの説明が不十分と感じる状況にあったりと、不満です。

子どものためにある制度ではなくて、大人のためにある制度で、さらに障害を扱うのに効率を求めたりと、
マイノリティの不便をまともに被ってしまうこの現状が、誰にも受け止めてもらえず困り果てている今です。


親はこんな状況ですが、子どもは元気です。
台風の影響もなく、連休中はお姉ちゃん達と楽しく安定して過ごせました。

脳の可能性

2月の中旬にインフルエンザに産まれて初めて罹った娘。
この疾患の怖さを実感しました。
呼吸器がやられていくのですね。
持ちこたえた娘は、治ってスッキリしたらまたいつもの
女王様になっておりました。


娘の脳は、たまごが分裂する妊娠のごく初期におこる異常なので
深部の形成が不完全なことが多い。
主治医が教えてくれたのは、娘は下垂体と橋の異常だった。

首がすわらない。

というよりも、首が倒れても元に戻そうとしないのだ。


これが最近どうやら、自分の見たいものがあれば首を動かして
そちらへ向くようになった。特に左右への動きはとてもなめらか。
前後の動きは未だダメで、抱っこをしていても
いきなり「ガクッ」と後ろへ倒れてしまう。



娘を育てるにあたって一番大切にしてきたのは「モチベーション」だ。
やりたい気持ちが、やれないはずのこともできるようになる。

首の動きがこのモチベーションに応えられるようになっているのでは
ないかと思っている。
すでに5歳という年齢だが、これもあり。

脳は、いくつになっても「好きなこと」「楽しいこと」は
積極的にやりたくなる。それを、娘にぶつけていくのが私の仕事。
実際は、同じ世代のお友達が一番刺激をしてくれる。

雑感

10キロの壁を越した娘の体調は、劇的に改善したと思う。
3年前の入院中に、以前の担当医が「根拠は無いが、経験からいくと体重が10キロを超えると体調を大きく崩すことは少なくなるんだよ」と言っていた。それは、娘と私への目標設定だった。10キロにするために、体重を減らさないようにこまめに計量していくことと増やすように指導されてきた。

体調を崩すことによって体重が減ることは、当然だろう。娘は、体重が減ることによって元々持っている症状を悪化させてしまい命に関わることがあるため、その部分は色々な人から厳しいことを言われてきた。それは、外見上で判断できるものではないために、私の勘にゆだねられていた。私が「何かおかしい」という部分を医療機関で確認してもらいながら対応してもらうことを続けてきた。

娘の子育てが、一筋縄ではいかないこと。
医療の助けが必要なこと。そして、どこの医療機関でもそれが同じように対応してくれるわけではないこと。
これは、意外だった。科学的根拠によって対処方法を考慮するであろう医療が、意外にも医師それも年齢や専門性とは全く関係なく対応が異なることについては、私がとまどった。相手にも言い分はある。でも親ならば、どこの誰でも同じような対応をするのだろうと思っていたのに、そうならない・・。それは、私がどこの誰に娘をお願いするかによって、助かるためのプロセスが異なるということ。
私は、娘がどうだったら一番楽かどうかを一番にするはずだったが、私の意志を汲んでくれる相手を探してしまった。

私は、娘にどうしたいという明確な日本語を持っているわけではない。
その時それぞれで変わってきたし、今の一番ベストであろう道はその時々で考えてきた。

娘が体重を減らさないように増やすことは、様々な方法がある。
体調を崩しても、減らさない方法はある。
娘の辛さを考えたら、私が選ばなかった方法が楽だったのかもしれない。
そんなことを振り返って、昨年の安定してきた娘の体調について、反省してみた。

「後悔しないように選んで欲しい」という日本語はものすごく無責任だと思う。
他の道がある以上は、他の道を選ばなかったという後悔を絶対してしまうのだから。
私は、結果については後悔しないが、プロセスについて後悔しなかったとは言いきれない。自分で選んでいるけれど、それが一番だと思っているけれど、他の道だったらどうなるのか・・・その思いを、どうしたらいいかも教えて欲しい。

私と娘とのつながり

お久しぶりです。

毎日色々な事件もありますが、娘は毎日保育所に行けるくらいの体調で
元気にやっています。


今年の夏には5歳になる娘の発達は、身長は伸びていながらも体重は維持。そして、お利口さんな娘に成長しています。
私たちの話していることを理解し、自分はこうしたいという意志を
なるべく表そうとしていることを、私が感じ取っています。


先日、ネットで知り合った方々とお会いすることがあり、
たくさんのお話をさせていただきながら、指摘していただき
自分なりにモソモソと考えていました。

娘が生きている貴重なこの時間を、どう世の中に出していくか
その価値観を共有させるのであればどうしたらよいのか、
少数派ではあるけれども上手く伝えていけることはできないのか。

娘が引き合わせてくれた不思議な縁は、私自身をえぐられます。


娘と意志疎通が難しいのに、私がどうして娘の意志をくみ取っていると
自信が持てるのか・・・という話題になりました。
その時に私がすぐに答えることができなかったことが心残りでした。

でも、ここの書き込みに書いてありましたね。
産まれた時に私の元に来た時から、持っていたのだということを。
多分、カンガルーケアがネックなのではないかと思えるようになりました。


カンガルーケアの効果を、科学的に証明できるようなことになって
いれば良いのですが、論文をそこまで読んだことはありません。
ケアの総数や効果をまとめている人がいたらそれはとても興味が
ありますが、他の人がどうなっているのかはわかりません。

それでも、娘と私がつながっていることを「本能的」に一番初めに
確認して、その後も困ることなくつながっているわけですから
あの一瞬に、凝縮されているのではないかと思います。


娘が生きる時間を母親として精一杯良いものにしてあげたいという
思いは産まれてから、様々な症状を越していくうちに大きくなった
思いです。

どうなったら喜ぶか、笑顔を見ることができるか。



私の選択一つで娘の楽しみは変わるとは思いますが、
この選択に間違いは無かったと思いこむために、医療技術や周囲が
できることはたくさんあるとも思っています。

自信はあるようで、ないこともしばしばです。
それでも、前には進まなければならない。
そこに、少しでも周囲を巻き込んでよりよい環境を提供してあげられるよう
努力するだけです。

カンガルーケアに想うこと

訴訟のニュースを読んで感じたことを書きます。
もう以前から、「カンガルーケア」には色々と思いがあったのですが、
タイミングを逃していました。


障害児の娘は、出生前に病名を教えてもらっています。
担当の産科医の先生は「心臓はきれいだから、呼吸は大丈夫だと思う」
とのことでしたが、NICUの受入準備は進めていました。
娘の疾患では、誕生後何があるかはわからないことが多く、
「小児科の先生が必ず立ち会えること」が条件の出産だったからです。

経膣分娩の予定で、陣痛誘発剤を使用する計画。
出産前にはNICUの看護師や産科のスタッフに話す機会も多く
何だかバタバタしていた記憶があります。

上のお姉ちゃん2人は近所の産院での出産で、陣痛が始まっても10分間隔に
なるまでは連絡しないで普通の生活を送るような経験をしていたので
違和感一杯の出産を迎えました。

比較するなら、顔の知らないスタッフが入れ替わり立ち代り同じようなことを
聞きにくるし、今までと勝手が違うことを検診中から「いやだなぁ」と思っていたので
病院に到着して「産むぞ」という気にはなれなかったのでした。


産科のスタッフに「ママの希望はあるか?」と聞かれたんだと思います。
「カンガルーケアをしたい」と伝えました。
姉ちゃん達は、臍の緒を切ったら胸元で少しの時間一緒にいたのです。
タオルに包まれ帽子をかぶった娘が、ギューっとしながら胸元に来ると
今回は誰に似ているだの大きいだの色々な批評を一通りして、その後はゆっくりと
休ませてもらう流れになっていたのです。

あまりにも前と違う出産体制に、自分でもどうしようもなくて
そうでなくても「いつまで生きられるかわからない子を出産する」というプレッシャーを
何とかしたいと思い、ふと思いついた言葉でした。
このケアにすごい思い入れを持っていたわけではありません。
いつもの流れに近いような出産をしたら、自分が何とかなるのではないかと
ただそれだけでした。見えないものにすがるような気持ちでしょうね。


この提案に産科のスタッフは返答を保留でした。
後から、産科医が「赤ちゃんの状態次第です。こちらで処置させてもらって大丈夫そうなら少しの時間はできると思う」と言ってくれたのでした。

それはそうだと思います。
呼吸が上手くできないかもしれないのに、カンガルーケアを優先しろとは
誰にも言えない。
ただ私には「呼吸ができない可能性は低いだろう」と言われていたので
その他に何があるのかは、私自身想像できないから(連れてきてもらえる)と
思っていました。


出産は3人目もあって、陣痛時間も短いものでしたし、楽に済んでしまいました。
娘は産まれて、しっかり泣いていたことも覚えています。
別室で大人数のスタッフに処置をしてもらっていた娘が、しばらくしてから
包まれて私の胸元に来た時の気持ち。
それが不思議と何もわかなかったのでした。
口唇裂があって、今までのわが子とは少し違うのだけれど・・
悲しいとか嬉しいとか、誰に似ているとか、そんな感情は何もわかずに
ただただ見ていた自分を覚えています。
感情なくただ抱いていた自分です。


思い返せば、この時間に私自身が親として娘を認識するメスの本能が働いていたのでは
ないかと思います。
障害児の娘を拒絶するような気持ちにならずに済んだのですから。
産まなければ良かったとは思わずに育てることができています。


上手く哺乳ができないことに対応してくれるスタッフに感謝の気持ちもあったし、
娘は他の児と違うことがたくさんあるのに、嫉妬のような感情が出てくることも
なかったです。あきらめとも受入できたとも違う、何ともいえない感情です。
言葉で表現できない不思議な気持ちでした。


カンガルーケアーは、やって良かったと思っています。
これは、娘の成長と共に実感したことです。
やる前から、絶対に良いからと思い込んでやったわけではないので、
結果から導かれた感想です。
とくに、障害を持って産まれるとわかっている児に対しては、このケアの
良さがよくわかりました。

ただし、出産後間もなくの赤ちゃんを何十分も放置してやるような行為だとは思いません。
きちんとスタッフがそばについていて、安全の確認をしながら行うようなケア
だと思います。
母親はそのケアをそばで見られていたから、心象悪いようなことも無いと思います。
カンガルーケア自体は、その一瞬に多くの大切な意味を持たせると思うので
ケアを止めるような方向にするのは反対です。
ケア自体の時間をある程度制限することや、必ずスタッフが数分おきにでも
赤ちゃんの状態をチェックできるようにしておくことが必要だと思います。
いくら母親でも、出産直後の脱力状態で正常な判断をある程度の時間できるかと言われてもそれは無理だと思います。


このケアは、私が思うには子育てしている時間に、親へ浸透していくものだと思います。
すぐに結果が出るものでもありませんし、目に見えるものでもないだろうと思います。
でも、例えば胎児に障害があったり、妊娠期間中や分娩時に辛い思いをしたお母さんが
このケアをすることで、子育てがより良い方向に向くのであれば
ぜひ該当する人には特に勧めてあげたいと思っていました。

子どもを亡くすようなケアではないことはよく理解できます。
このケアをしてあげたら
これからより良い生活を送ってもらうためのケアであろうと思うので、
ケア自体を否定するのではなく、医療スタッフに今以上の配慮が必要だということを
周知してもらうようにして欲しいと思うのが私の考えです。

4歳になりました

お久しぶりです。
もう夏も終わってしまいそうな気温ですね。

先日4歳の誕生日を迎えることができました。
誕生日の数日前に、定期診察で会った主治医が相変わらず
「亡くなる子が多いからね」と、母に釘をさしていました。
1歳が一つのラインだと言われていたので、正直なところ毎年誕生日は予想もしていなかった出来事になります。
夏の暑い日に、涼しい病院で産まれた娘。処置が終わって手元に来た娘が私の何にも触らなくて、でも不安にさせることもなく安心させることもなかったあの時間。今でも昨日のことのように思い出せます。


最近、少しずつ本を読むようにしています。
生命倫理」という分野の本です。
娘が出生前診断という技術を使って産まれる前から病名がわかっていたこと、もしかしたら使ったかもしれないNICU。そして、医師から何度も言われている延命に関する様々なこと。命に関わる症状に対してどのように判断するのか・・・。
経験が増えてくる(生きる時間が長くなればなるほど)と、その都度責められる判断に自分自身が納得いく根拠を探すようになりました。
判断をするための根拠は今まで漠然としていたものでしたが、段々と形にしなければならないと思うようになったからです。


生きるために親が選ばなければならない医療技術。
その医療技術は児にとって、受け入れられるものかどうか。
その医療技術が及ぼす、児への利益と不利益。

治らない疾患を持つ娘にとって、その医療技術だけを選べばいいというマクロな視点だけではないことは以前からわかっていましたが、特に大きくなってからは期待する気持ちを大いに込めて将来をも考えた対応を選ぶようになりました。
月齢が若いうちはその時その時をただ無事に通り過ぎればいい、という考えから変化しています。
この変化は、娘だけではなく養育者(私)も変わったのです。
親の視点が変われば、治療方法も変わってくることになるのですね。
なぜ親の視点が変わるのか・・・
経験からくる慢心と、取り除かれた不安。
育て上げたという「達成感」からも来ると思います。


「生きることが難しい」娘に、親が何をしてあげられるかをたくさん考え、私なりの方針を持って育ててきました。ただ愛情があれば育つわけではないことを、周囲は理解していると思います。どんなに「愛して」「大切に」育てても、娘の命が永くなる保証がどこにもないことがわかって、私は「姉妹で同じように対応してあげる」ことを選びました。
「愛」が「生きる時間の長さ」とは一致できない。
この感情の置き場に苦労したことを、吐き出したかったです。

医師も「愛があるから長生きしている」とは評価できないと思います。
知的な発達をする娘を「すごいね」とは言うけれど、愛だけで知的な発達をするわけがありません。

愛が無いと虐待につながってしまうかもしれない。
でも、愛だけでは楽しい時間が過ごせない。
この葛藤を4年間続けてきた私です。

「育てあげる」という日本語を私に言ってくれたのは、近所の小児科の先生です。
私の気持ちの中に本当に違和感なく入ってきた言葉です。
一般的にはこんな小さな娘に使ってくれるような言葉ではないでしょうし、私がボロボロで慰めてくれる言葉としてかけてくれたのかもしれないのですが、嬉しかった。


自分でも階段を一つのぼれたように感じています。

納得のいく答えを出すべく悩みながらも、今も近くでいびきをかきながら寝ている娘に振り回され、感謝しながらの毎日を過ごしています。